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日本ラグビー界の希望。史上初の「大学生トップリーガー」山沢拓也のとてつもない将来性

2019年、この男がキーマンになる! 史上初の大学生トップリーガーの「これまで」と「これから」

 1月29日、第54回ラグビー日本選手権決勝。史上初の「大学生トップリーガー」が大一番の舞台で堂々としたプレーを披露した。トップリーグ王者で「2冠」を狙うサントリーサンゴリアスに破れはしたものの、「連覇」を狙う名門パナソニックワイルドナイツの「10」番を筑波大学4年の山沢拓也が背負った。中学時代は、サッカー選手としても活躍。新時代の才能に迫る。

中学時代はサッカー少年。名門校からスカウトも

写真:斉藤 健仁

 放ってよし、走ってよし。そして両足でキックも蹴れる山沢は高校時代からラグビー界で名の知れた存在だった。しかし、埼玉・熊谷東中ではラグビー部に籍はあったものの、埼玉のサッカークラブの強豪であるクマガヤSCに在籍、丸いボールを蹴ることに夢中になっていた。そんなサッカー少年が、どうして高校から楕円球に専念することになったのか。

 高校進学にあたって埼玉にあるJリーグのユースチームには落ちたものの、埼玉や千葉のサッカー名門校から勧誘されていたという。ただ兄・一人(かずと)が埼玉の強豪・深谷高でラグビー部に在籍しており、横田典之監督の知るところとなり、熱心な勧誘の末、深谷高でラグビーをすることを決意する。「将来は日本代表の10番を背負える存在だと思いました」(横田監督)

高校時代からエディ・ジョーンズの熱視線浴びる

 山沢は1年からレギュラーとなり、本格的にラグビーを始めて1年に満たない中で、花園でも活躍するなどすぐに存在感を示した。高校3年時、当時、日本代表HC(ヘッドコーチ)に就任して1年目のエディー・ジョーンズの目に留まる。「スキルが高く、視野が広い」と指揮官は山沢を高く評価し、17歳の高校生ながら日本代表に準ずる「ジュニア・ジャパン」でトンガ代表との練習試合にも出場し、日本代表合宿にも参加した。

 その後も、ユース世代の日本代表として活躍しつつ、大学は筑波大に進学する。ジョーンズHCの期待も大きく、個人的には「もしかしたら2015年のワールドカップ出場の可能性もあるのでは」と思っていた。ただ、2014年3月のジュニア・ジャパンの遠征で左膝前十字じん帯を負傷。さらにその年の12月の大学選手権で再び同じ左膝を痛めてしまい、ワールドカップ出場どころではなくなってしまった。

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斉藤 健仁

さいとう けんじ

スポーツライター。1975年生まれ、千葉県柏市育ち。ラグビーと欧州サッカーを中心に取材・執筆。エディー・ジャパン全試合を現地で取材!ラグビー専門WEBマガジン「Rugby Japan 365 」「高校生スポーツ」の記者も務める。学生時代に水泳、サッカー、テニス、ラグビー、スカッシュを経験。「エディー・ジョーンズ 4年間の軌跡」(ベースボール・マガジン社)、「ラグビー日本代表1301日間の回顧録」(カンゼン)など著書多数。


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